2009年03月09日

無承認構造変更で取り潰された大名

多少歴史が好きな人なら福島正則という武将の名前は記憶にあるでしょう。

豊臣家の一族でありながら、関が原の戦いで徳川方として奮戦し、徳川家康の勝利に最も貢献したと言われています。



関が原戦直後、福島正則の家臣が徳川家の家臣伊奈昭綱配下の足軽から侮辱を受けて切腹する事件がありました。

正則はこの件の責任を厳しく追及し、最後は伊奈昭綱を自害させてしまいました。

徳川の天下が定まった後も鼻息の荒い福島正則に対し、徳川幕府の面々は復讐の機会を虎視眈々と狙っていたようです。



豊臣家滅亡後のある日、居城の広島城が水害で破損してしまいました。

急ぎ修理したいところですが、この当時「武家諸法度」という掟があり、城を修築する際には必ず幕府の事前承認を得ることとなっていました。



一、新規ノ城郭構営ハ堅クコレヲ禁止ス。居城ノ隍塁・石壁以下敗壊ノ時ハ、奉行所二達シ、其ノ旨ヲ受クベキナリ。



福島家では急ぎ幕府に修築願いの届出を出したのですが、幕府はそれについて、うんともすんとも言わないまま時間が過ぎてゆきました。

2ヶ月以上過ぎてしまい、せめて雨漏りしているところだけでも直してしまおうと、一部の修築を開始してしまったのですが、これが幕府にとがめられることとなりました。



安芸、備後であわせて50万石の所領は没収され、信州で5万石程度の領主に落とされ、その後の不手際もあって、福島家は3000石の旗本に転落してしまったのです。



届出と承認は異なります。

ちょっとした手続上の油断で、これほど大きなものが失われた例は珍しいでしょう。

福島正則は無承認構造変更で処罰された大名だったのです。

当時は大名と言えども、幕府の定めた法令にはビクビクしていたということです。



hino
posted by 風営法担当 at 18:50 | TrackBack(0) | パチンコ・ゲームセンター・遊技場
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