2013年02月08日

今を見るか、未来を見るか

(メールマガジン法務コンシェルジュ2012年7月4日号掲載)

夏バテのせいでしょうか、事件や事故のネタに興味がわかないので、今回は気分を変えて歴史の話題にしてみます。
先月、エリザベス女王の即位60周年記念祝典のニュースを見て、ふと思い出したことです。

旧日本海軍の駆逐艦の艦長に工藤俊作という人がいまして、太平洋戦争中の1942年3月、日本と英国との間で戦われた「スラバヤ沖海戦」の際に、撃沈された英国軍艦の漂流乗組員422名を救助したという話です。

敵兵の救助自体は珍しくもありませんせんが、潜水艦の魚雷に狙われるリスクが高い状況で、わざわざ停船させての救助活動は勇気が必要な決断でした。
そんな無駄なことをする暇があったら敵をやっつけろ、というのが常識でしょう。
この話が歴史の波間に消えて56年後の1998年。

昭和天皇の英国訪問の際、英国では戦時中の捕虜の扱いなどで反日感情が再燃しだしていました。天皇のパレードの際に、戦中に捕虜となった人々がわざと背中を向けて並び立つ姿が報道され、日英の経済関係の悪化も懸念されました。

そんな折、タイムズ紙に掲載された一通の投書が話題になりました。
元海軍士官によって、冒頭の救助活動の話が紹介され、当時の反日的ムードを和らげたのです。工藤艦長が、救助した英国人達に告げた第一声は次のようなものだったそうです。
「貴官らは日本帝国海軍の名誉あるゲストである」

さて、この話をどのように料理しましょう。
私にとっては、「人道主義」とか「武士道精神」とかいうオチでは面白くないのです。
工藤艦長の行動は、その人なりの冷徹なリスク判断の結果だったのではないかと。
なぜならこの人物について、戦時中のこんなエピソードが残っているからです。

ある日、見張り員が流木を潜水艦の潜望鏡と間違えて報告しました。
全員がいっせいに戦闘配置に付くわけですから、間違いだとわかった後で、見張り員への周囲の目線がいかに厳しいものとなるかは容易に想像できます。当時の軍隊で兵がミスをすれば、鉄拳制裁が当たり前です。

ところが工藤艦長から呼び出された見張り員は、相当キツイお叱りを受けると思っていたところ、その注意力をほめられたそうです。
間違いを恐れずに思ったことを報告するのが見張り員の役目ですから、この場では褒めるのが確かに正解です。

しかし200人の部下を持つ艦長が、作戦行動中にわざわざ一兵員を呼び出して褒めるということは、よほど深い配慮があってのことです。
東電の事故でも露呈しているように、間違いを恐れずにリスクを指摘させることが、組織管理者にとっていかに重要であり困難であることか。

私には、冒頭の救助のエピソードも、冷静なリスク判断の結果だったのではないかと思えます。
今を見るか、未来を見るか、という目線の違いが、ギリギリのところで判断を分けたのではないかと。

救助活動は戦時の常識においては「単なるムダ」であったという評価かもしれません。
しかし、政府の一員である一艦長の行動が、今でも日本政府に対する国際的な評価にささやかながら影響を及ぼしているのです。
この話は救助された英国海軍士官が書いた一冊の本に記されています。

「この本を私の人生に運を与えてくれた家族、そして私を救ってくれた日本帝国海軍中佐、工藤俊作に捧げます。」
サー・サミュエル・フォール著 「マイ・ラッキー・ライフ」
posted by 風営法担当 at 00:00 | 歴史チャンネル