2013年03月08日

貝殻で運命を切り開いた少年

(法務コンシェルジュメールマガジン2012年10月10日掲載)

明治維新から3年後の1871年、横浜港に降り立った17歳の少年がいました。
ロンドンの貧しいユダヤ人一家で、11人兄弟の10番目として育ったマーカス・サミュエルは、高校卒業の記念に父親からもらった三等船室の片道切符で、縁もゆかりも無い極東の島国へ一人でたどり着いたのでした。

ポケットにはたった5ポンド。宿代がないので湘南三浦海岸の無人小屋に住みついて来日後の数日を過ごしました。
フト浜辺に目をやると、見たことのない美しい貝殻が落ちています。この貝殻に自分で細工を加えてロンドンの父親に送りました。

父親はこの貝殻をロンドンの町で売り歩きました。当時のロンドンではその貝が珍しかったらしく、ボタンやたばこケースなどの装飾として飛ぶように売れました。父親は店を開き、少しずつ店は大きなって、少年はひと財産を築くことができました。

そのお金で23歳のとき、横浜で「マーカス・サミュエル商会」を設立し、石油の採掘事業に進出しました。
事業がうまくゆくと造船の専門家を招いて、世界で初めて石油運送用のタンカーをデザインし、世界初の「タンカー王」となりました。
彼は自分のタンカーの一隻ごとに、日本の海岸で拾った貝の名前をつけました。

1894年、日清戦争が勃発すると、軍需物資の供給で日本政府に貢献しました。
また、台湾のアヘン中毒患者対策としてアヘン公社を設立しました。これらの功績により明治天皇から勲一等旭日大綬章を授与されました。

英国に戻ると親日家の名士として厚遇を受け、ロンドン市長になりました。
1921年、男爵の爵位を授けられ貴族となりました。

しかし英国国内では、ユダヤ人が石油業界で君臨していることに反発が強まり、会社を手放すことになりました。
彼は手放すに際して、会社が存続する限り「貝のマーク」を商標とすること、という条件をつけました。

そのマークが、今でもガソリンスタンドでおなじみの「昭和シェル石油」のマークなのですね。
posted by 風営法担当 at 00:00 | 歴史チャンネル